身延別院(身延山久遠寺の東京別院)の御朱印|江戸傳馬町牢屋敷の跡地に建てられたお寺(東京都 日本橋小伝馬町)

寺院
寺院東京都都道府県別
獄死亡霊を慰めるために建立された寺院は、由緒ある身延山久遠寺の別院として建立されたのだそう。
最初は少し入りにくい雰囲気を感じたが、ご朱印を頂いている間も、お寺の方が気さくに話しかけてくださり、とても楽しい時間を過ごすことができた。

参拝日:2023年6月4日
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お寺の紹介

  • 1883年(明治16年)、身延山久遠寺の住職「新居日薩あらいにっさつ上人」により開山
    • 開山と同時に身延別院から「日蓮大聖人」像が、遷された
      • 「願満日蓮大菩薩」「牢屋ヶ原のお祖師さま」として、人々に親しまれてきた
  • 身延別院を含む小伝馬町一帯は、伝馬町牢屋の跡地
  • 伝馬町牢屋で犠牲となった多くの人々を慰霊するために建立された
  • 建立当初から身延山の東京別院とされており、身延山の別当が任命されて管理した
  • 1942年(昭和17年)、初代住職「藤井日静上人」が赴任
  • 関東大震災で堂宇が焼失
  • 現在の本堂は1929年(昭和4年)に再建されたもの
  • 「光明稲荷大明神」
    稲荷神のお使いがキツネ。全国に伏見稲荷から分祀され、勧請されています。所願成就、怨敵退散を祈ります。ご祭日は毎月二十二日です。

正式名称

 身延別院みのぶべついん身延山みのぶさん 久遠寺くおんじ 東京別院とうきょうべついん

宗派

 日蓮宗

御本尊

 日蓮大菩薩にちれんだいぼさつ

身延別院の御朱印

身延別院の御朱印
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みどころ

身延別院の寺号標柱

身延別院

門には「身延別院」と書かれた看板が掲げられている。都内と言うこともあるのだろう、敷地はそこまで広くないが、歴史と風格が漂う立派なお寺だ。
境内にはAudi A8が停まっていた!カッコイイ!ただ、車庫入れできそうにない・・。

身延別院の本堂外観

身延別院 本堂

写真にある大きな提灯には「願満日蓮大菩薩」との文字がと書かれている。 右の柱には「願満日蓮大菩薩御尊像」と書かれており、この本堂に安置されているだろうことがわかる。

身延別院の扁額

身延別院の扁額

扁額には「立正」と書かれている。
この「立正」とは、「しい教えをてて国を救う」という意味であり、有名なものとしては1260年に日蓮が執筆し、鎌倉幕府第5代執権の北条時頼に提出した「立正安国論」がある。

身延別院の境内

身延別院 浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)

身延別院 浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)

入口上には「南無浄行菩薩」と書かれている。

身延別院 浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)

この浄行菩薩は、水のように清める力を持っており、煩悩(苦しみの原因)の汚れを洗い流してくれる、いわゆる「水徳」を持っているのだそう。

身延別院 油かけ大黒天神

京都伏見「油かけ町」、その昔油売りの商人がおり、道端の石像に誤って油をかけてしまった。以降、商売が大いに繁盛したと伝わる。後に、昭和の名優「長谷川一夫」により、ここ身延別院へ遷されることになった。

身延別院 油かけ大黒天神
身延別院 油かけ大黒天神
身延別院 油かけ大黒天神

※クリックで拡大表示します

身延別院 光明稲荷大明神

お稲荷さんを発見。

身延別院 本堂内へ

身延別院 本堂内

ご朱印を頂きたいので、本堂内にある事務所へと向かう。

身延別院 本堂内

身延別院 本堂内

ご朱印を頂いている間に本堂内を見て回っていた。
写真撮影の許可を頂いたうえで、堂内を撮らせていただいた。

身延別院 本堂内

こちらは中央向かって右側の仏壇。

身延別院 本堂内

こちらは中央向かって左側の仏壇。
初代住職の藤井日静上人(右)と、第二世藤井日光上人(左)の写真の額縁が祀られていた。

身延別院 本堂内
身延別院 本堂内

何やら歴史のありそうな額だ。
よく見ると、一番上の段には火消の「まとい」のマークが描かれている。

おしまい

身延別院 本堂内
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アクセス

住所

所在地東京都中央区日本橋小伝馬町3−2
最寄駅「東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅」下車 徒歩1分
駐車場情報専用の駐車場なし
公式サイトhttp://minobu-betsuin.jp/index.html

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