お寺の紹介
- 「千葉寺」の読み方は「せんようじ」
- でも地名は「ちばでら」
- 諸国行脚中の行基が「観音像」を刻み、安置したのが始まり
- 1本の茎に二つの花と千の葉をもつ青い蓮華を発見、中で阿弥陀如来と観音が並んで説法をしていた
- 聖武天皇の時代(701~756年)には大きな観音堂が建てられていた
- 奈良時代(710~794年)後半には金堂・南大門・灯台門・西大門・講堂などの伽藍が並ぶ
- 平安時代(794~1185年)後期、落雷で本尊以外のすべてを焼失
- 千葉氏の居城でもある猪鼻城に近いことから、千葉氏の勅願所として栄えた
- 源頼朝との関わり
- 平家打倒を祈願
- 平家討伐後、頼朝が千葉常胤に命じて、運慶作「愛染明王」を寄進
- 千葉氏は北条氏と共に滅亡したが、寺は後に徳川家により保護された
- 度重なる火災や戦災で焼失しており、現在の建物は昭和51年に再建されたもの
正式名称
海上山 千葉寺(せんようじ) 地名|千葉寺(ちばでら) ※ややこしい
御本尊
十一面観世音菩薩
ご真言
[光明真言]
おんあぼきゃ・べいろしゃのう・まかぼだら・まにはんどま・じんばら・はらばりたや・うん
創立
和銅二年(709年)|行基
御朱印
御朱印所について
本坊にて御朱印を頂く。
案内が丁寧に掲示されているのでわかりやすい。
ドキドキするが、勇気を振り絞って「ピンポン」を押してみよう!
とても優しい副住職さんにご対応頂きました。
みどころ
仁王門
車の往来が少し多い2車線道路沿いに、突然重厚感あふれる仁王門が現れる。
こちらの仁王門は天保12年(1841) の建築であり、180年以上前の物である。
龍がこちらへ睨みを利かせている。今にも飛び出してきそうな迫力。こちらは江戸時代に再建されたもの。
仁王門にはたくさんの「千社札」が貼られていた。
寺院名碑
千葉寺大師と書いてあるので、「弘法大師」ゆかりの地であることがわかる。
境内案内図
千葉寺境内の説明
千葉寺境内
所在地 千葉市中央区千葉寺町161
指 定 昭和35年3月31日
縁起では、和同2年(709)東国巡錫中の行基が池田郷の池で千葉の青蓮に霊を感じ、丈六の十一面観音像を刻み、その話を聞かれた聖武天皇の勅命により堂舎を建立(東方約1kmの観音塚と伝えられる)し、海上山歓喜院青蓮千葉寺と称したという。 永暦元年(1160) 雷火で伽藍を焼失し現在地に移転する。この頃より千葉氏の厚い信仰を受けるようになったと伝えられています。
昭和25・27年の発掘調査で、旧寺の境内は70間 (約126m) 四方であったと推定され、奈良時代の瓦が出土したことから永暦以前にすでに大伽藍がここにあったと考えられる。現本堂は昭和51年落成であるが、仁王門・鐘楼は天保12年(1841) の建築です。
寺は真言宗で、十一面観音を本尊とし、坂東33ヶ所観音札所の第29番で、巡礼者で賑い、戻り鐘や千葉の奇習伝承を残し、境内には歴史上の記念碑も多く、本市の歴史上重要なところです。
平成10年3月 千葉市教育委員会
千葉寺境内の案内看板より
当時は青蓮千葉寺(しょうれんせんようじ)と呼ばれていたとのこと。
なんとも良い響きである。駅名も千葉寺(ちばでら)ではなく、青蓮千葉寺(しょうれんせんようじ)にすれば良いのに…って勝手に思う。
千葉寺の説明
千葉寺
市内最古の寺院で、奈良時代の和同二年(七〇九)の創建と伝えられ、発掘調査の結果、奈良時代末期には四間×四間の瓦葺きの金堂が存在したことが確認された。
境内の仁王門と鐘楼堂は、文政十一年(一八二八)に建立されたものである。
遺物には、奈良時代の布目瓦、平安時代の青銅製の梅竹透釣燈籠(国指定重要文化財。東京国立博物館所蔵)、桃山時代の輪石塔など、貴重な物が数多くある。
千葉寺境内の案内看板より
たまに国立博物館に行くので、探してみたい!(展示しているかは不明だけど)
本堂
扁額には「海上山」と書かれている。聖武天皇の勅願によりこの山号が与えられた。
昭和51年に再建された本堂。現代に入ってからの再建なので、がっしりとした造りで、近代的である。
この本堂は、通常扉は閉まっているが、お正月になると開かれ、本堂に入ることが出来る。
こちらがお正月の本堂の様子。開門している!!
中が見れるのは貴重ですな!どれどれ
こちらがご本尊。観音菩薩像を拝見することは出来なかった。
堂内では売店があり、お守りなどが販売されていた。
千葉寺の記念碑の説明
奉納
開山行基菩薩以来一千二百七十二年市民に親しまれ坂東廿九番札所として全国の信仰の的である当山観音堂落慶五周年記念として荘厳設備の改善並びに弘法大師一千百五十年御遠忌記念として第八十八番大師堂新築資金として寄進し有志一同三宝報恩謝德諸願成就三界萬霊の冥福を祈るものなり
千葉寺丗五世権大僧正藤沢利恭撰文
千葉寺本堂前の石碑より
弘法大師御遠忌記念石碑
昭和59年と刻まれている。新しいものなので、弘法大師の絵に色が残っていることがわかる。過去の石碑も綺麗な色だったのかな?
太子堂
関東八十八か所霊場の看板がある。
鐘楼堂
天保12年(1841) 建築の鐘楼。時代を感じる!
お正月には、参拝客がこの鐘を突くことが出来る。
大晦日から三が日頃にかけて、この鐘の音が千葉寺近辺に響き渡るのが風物詩となっている。
小太子堂
大きな錫杖の塔が存在感を放っている。
大イチョウ(御神木)
とてもとても大きい。参拝に訪れたのが冬なので、葉がついていないのが残念。たくさんの枝が張り出しているのでまだまだ元気な様子。太い枝からは、長いこぶのようなものが垂れ下がっている。圧倒されると共に、こちらも元気を分けていただいた。
千葉寺ノ公孫樹の説明
千葉寺ノ公孫樹 昭和10年11月12日指定
この大きなイチョウは、和銅2年 (709) 、僧行基がもたらしたものと伝える。樹高30m、目通り8mもあり、神奈川県鎌倉市の「鶴岡八幡宮のイチョウ」よりも大きい。樹勢旺盛で地上3mから枝を張り、乳柱がたれているがこれを煎じて飲むと母乳がよく出るようになると伝えている。
*市民一人一人の注意で、樹木をいためないよう、保護してゆきましょう。
昭和55年3月 千葉県教育委員会 千葉市教育委員会
千葉寺大イチョウ前の石碑より
看板の解説によると、鎌倉の鶴岡八幡宮に立っていたあの大イチョウよりも大きかったよう。鶴岡八幡宮のイチョウは2010年の台風で倒れてしまった。残念・・。
ここまで離れないと全貌が見えない程大きいイチョウ(公孫樹)
なんと709年に植えられたとのこと!!
御朱印を書いて頂いた副住職さんによると、こちらの公孫樹もご神木なので手を合わせると良いとのことだった。
本坊
こちらの宿坊で御朱印を頂ける。
こちらにも千葉氏の家紋である「真向き月に星」と「九曜」があった。
瀧蔵神社
- 境内の一角にある「瀧蔵神社」
- 千葉寺の旧鎮守社
- 千葉氏の守護神の一つ
- 明治の神仏分離で千葉寺から独立
千葉寺の一角にひっそりと佇む。
彫刻の綺麗な社殿
小さい社ながら、立体的で美しい彫刻があしらわれている。ここにも千葉氏の家紋がある。
木造の社殿は、覆屋で守られていた。地元の人々に大切にされている。
三社新築記念碑と三社
こちらの社には「3社」が並び、一つ屋根の下で同居していた。
左|針供養塔、中央|子安観音、右|大杉神社
まとめ
「千葉寺」と、地名になるほどのお寺はどれほどの規模なのだろう、と尋ねてみた。調べてみると、創建は奈良時代までさかのぼるほど古く、そして歴史上の偉人達との接点もあった由緒あるお寺だった。境内にはたくさんの石碑が建てられ、丁寧に整備されていて、現在もたくさんの人々に大切にされていることがわかった。
アクセス
住所
所在地 | 千葉県千葉市中央区千葉寺町161 |
最寄駅 | 「形成電鉄 千原線 千葉寺駅」下車 徒歩12分 |
駐車場情報 | 専用の無料駐車場あり |
公式サイト | https://www.chibacity-ta.or.jp/spots/senyouji(千葉市観光協会) |
GoogleMap
駐車場情報
山門の目の前が駐車場
少し離れたところに第2駐車場あり
ここはバス専用とのこと