円覚寺|鎌倉五山第二位・北条時宗公廟所
このお寺のいちおしポイント
北鎌倉駅を降りてそのまま道沿いを進むとすぐに見えてくるのが円覚寺。
8第執権「北条時宗公」のお墓がある場所でもある。
広大な敷地に様々なお堂があり、巡るだけでかなりの時間と体力が削られるほど見ごたえがある。
北鎌倉周辺は名所が多いので、ほどほどに拝観するのが良いのかも・・・。
円覚寺の見どころが書かれた看板もあるので、何を目指すかここで予め決めておくと良い。
【三門】
この三門は1785年に再建された。「円覚興聖禅寺」と書かれた扁額は、執権北条貞時の頃に「伏見上皇」より賜ったものなのだそう。
【仏殿】
こちらの仏殿に、円覚寺の御本尊が祀られている。
こちらが御本尊の「宝冠釈迦如来坐像」
広い敷地。昔の景色のままなので、歩くのがとても楽しい。
【唐門(方丈の正門)】
方丈の正門である唐門は、1839年に建立された。
【舎利殿】
ここ舎利殿には、「佛牙舎利」と呼ばれる、お釈迦様の歯を祀っているとのこと。源実朝が宋の時代に中国から持ってきたものなんだとか。今の舎利殿は、鎌倉時代にあった「太平寺」の佛殿を移築したもの。
【開基廟】
こちらが開基廟。江戸時代に改築されただけのことがあり、歴史を感じる。
このお堂の下に棺が埋葬されていると伝えられている。
訪問時の感想
何度か訪れていてお気に入りの円覚寺。いつもあまり見て回ることが出来なかったが、今回時間の余裕ができたので、あらためて参拝することに。鎌倉五山の一つに数えられるこのお寺は、広大な敷地に多くの歴史的建造物が並び、圧倒的な雰囲気を醸し出していた。平日に訪れたことが良かったのか、参拝客も少なくゆったりと見て回ることが出来たのも良かった。
明月院|紫陽花は必見!色鮮やかな光景に心を奪われる場所
このお寺のいちおしポイント
鎌倉の風情を味わいたいなら、言わずと知れた北鎌倉の名所「明月院」がおススメ。境内には美しい紫陽花が咲き誇り、禅文化を感じられる「悟りの間」もあり、いつの間にか別世界へと誘われる。
明月院と言ったら「紫陽花」である。
戦後の物資不足の中、参道整備に必要な杭が不足しており、「手入れが楽だから」という理由で杭の代わりに紫陽花が植えたところ、美しく咲いた紫陽花が評判を呼ぶことになったのだそう。予想外の副産物!
明月院の本堂には、「方丈」と書かれた扁額が掲げられている。御朱印は、本堂の右手前にある建物でいただける。
また、方丈と書かれた建物の右側には、有名な「悟りの窓」がある。雑誌で良く見るような写真を撮れる。
部屋の中を覗き込むと、奥に丸い窓が誂えられている。その窓からは、季節や時間によって変化する、風情ある景色が広がっているのだ。
実に良い。
丸い窓を反対側から見てみる。なるほど、こんな造りをしているんだな。
訪問時の感想
明月院に来る際は初夏の紫陽花の時期か、秋の紅葉シーズンがおススメ。
でもせっかく来るなら紫陽花の時期がベスト!
多くの人でごった返しているので、早朝がねらい目。
建長寺|鎌倉五山第一位・方丈庭園でしばし癒しの時を過ごす
このお寺のいちおしポイント
建長寺も相当広い敷地だ。こちらも、体力と時間とを相談しながらの拝観が良い。
看板の下の方に「寺内拝観約30分」と記されているが、全ての見どころを回るならばとても30分では見切れない程の広さと見ごたえがある。
総門に掲げられた額の「巨福山」は「大きな福をもたらす寺」と言う意味だそう。
【山門】
この三門は1775年に再建されたもの。
【仏殿】
台座を含めると5m程の高さになるお地蔵様。とても優しい顔をしている。
この建長寺が建つ場所は、かつて罪人の処刑場として使われており、そのお寺の本尊が地蔵菩薩であった。当時のものと伝えられている地蔵菩薩像は、この仏殿の千体地蔵にかこまれて建長寺仏殿内に安置されているとのこと。
【法堂】
この法堂には釈迦苦行僧像が安置されている。一見異様なお姿だが、これはお釈迦様が極限の苦行(断食)を行っている様子を表したものとされている。顔にひげを生やした姿は極めて稀とされ、徹底的に肉体を痛めつけるような荒行をしていたことを表しているのだとか。
【唐門】
この立派な唐門は、1628年、東京・芝・増上寺で徳川二代将軍秀忠の夫人「お江の方」の霊屋の門として建てられ、1647年に仏殿と共に建長寺に寄附され、方丈(龍王殿)の正門として使用されているとのこと。当時の豪華な造りを間近で見ることが出来る。
【方丈】
この建物も総門と同じく京都の般舟三昧院より1940年に移築されたもの。
この規模の建物を移築するのは、非常に大変な作業であることは想像に難くない。
【方丈庭園】
この庭は蘭渓道隆が作ったとされ、創建当時からのものである。
通路に腰掛ける椅子があるので、しばし庭を眺めながら休憩・・。この椅子があるおかげで、疲れが癒されるのでとてもありがたい。
訪問時の感想
さすが鎌倉五山第一位の格式を持つ寺院であり、歴史的価値のある建造物が多く残っていた。
特に徳川二代将軍秀忠の夫人「お江の方」の霊屋がこの場所に移築され今も残っていることに感動した。
圓應寺(円応寺)|閻魔大王が御本尊
このお寺のいちおしポイント
鎌倉にある円応寺は、閻魔大王を本尊とした珍しいお寺。閻魔様と聞くと怖いイメージだが、人の死後、善人は天国で安全に暮らせるように、そして悪人は厳しく罰して地獄に落とす、という判定を行っているのだそう。このお寺には、閻魔大王を加えた十王と言われる王たちを祀っている。
建長寺から鶴岡八幡宮に向かう道すがらに「円応寺」が建立されている。
閻魔大王をお祀りするお寺だ。
こちらが入口。山門をくぐった先にこの小屋があるので、こちらで「拝観料」を払い「御朱印」を頂く。
閻魔王が中央に座している姿が目に飛び込む。本来であれば仏堂がある場所に閻魔大王の木造が祀られている。あまり見ない光景なので、最初はびっくりした。
中央に座っているのが閻魔大王。閻魔王が、クワッと口を開いてこちらを睨んでいる・・・!
堂内には、中央に祀られる閻魔王を取り囲むような形で壁一面に「十王」が祀られている。
訪問時の感想
閻魔王がいるお寺、とのことで最初はビクビクしながらの参拝だった。実際には、閻魔王もまた他の仏様たちと同じく人々の幸せと救済を司っていた。人生において罪を犯さないことは大切だが、自分がこの世を去った後にもきちんと法要をしてもらえるよう、少なくとも一番身近にいる家族こそ最も大切にすべきなのだ、と感じた。実は、それこそが真理なのかもしれない。
鶴岡八幡宮|源頼朝が篤く信仰した神社
この神社のいちおしポイント
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも描かれた重要な事件が起こった場所。
また観光地としても大変にぎわっており、北鎌倉エリアのお寺からは一転、大変にぎやかな場所であった。
参拝日は平日だったが、かなり多くの人で賑わっていた。修学旅行や校外学習で訪れている様子の生徒たちもいて、懐かしい気持ちが蘇ったりもする。
181年に源頼朝が建立した「若宮の回廊」があった場所。
静御前が義経に向けて舞を行った若宮廻廊跡に、現在の舞殿が建てられている。
「八幡宮」の「八」の文字、よく見るとハトが向かい合わせのデザインとなっている。可愛い。
こちらが本宮前。多くの人で賑わっている。
2010年3月に強風にて倒壊してしまった大銀杏。すでに枯れてしまっていたと思ったが、同じ場所で大銀杏の根から新たな芽が出たとのことで、今ではこんなに大きな姿に!
枯れてしまったと思っていたので、とてもうれしい。この銀杏も、千年後まで生き続けてくることを願う。
訪問時の感想
鎌倉の超メジャースポットである鶴岡八幡宮には学生から、カップル、夫婦にお年寄りと様々な年代が集まり、まさにランドマーク的な存在の場所であった。
宝戒寺|鎌倉時代、執権として活躍した北条氏の邸宅跡
このお寺のいちおしポイント
この地に北条氏の小町邸があり、執権となった人物は概ねここに住んでいた。元弘3年に新田義貞が攻め入り、屋敷は灰燼に帰してしまった。
その後、足利尊氏が寺を建立する際、北条氏の菩提寺となっていた「東勝寺」をこの地に再興し、「宝戒寺」と名付けた。
石碑には「北條執權邸舊蹟」とある。大正7年に建てられたもの。
宝戒寺へ参拝した頃は、ちょうど大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を放送している時期で、義時ゆかりの地として看板やのぼりが設置されていた。
こちらが本堂。
北条家の家紋、三つ鱗がそこかしこにあった。
訪問時の感想
今回は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」放映中に、関連するお寺への訪問となった。ドラマの世界とは言え、歴史上の人物をリアルに感じながらの訪問となり、大変興味深く拝観させていただいた。宝戒寺の成り立ちを追うことで、偉人たちの心のうちに少し触れた気持ちになれた。
大蔵幕府跡|鎌倉幕府の御所があった場所
この場所のいちおしポイント
鎌倉幕府の跡地には、石碑がひっそりと佇んでいる。頼朝がここに居を構え幕府を開いてから、北条政子が亡くなるまで、この地が幕府の中心地だったことが記されている。
小学校の敷地の一部にひっそりと建てられているので、うっかりすると見逃してしまう。
今は碑だけが残っており、敷地には小学校が建てられている。子供たちのにぎやかの声が聞こえてくる。
訪問時の感想
大倉幕府跡の碑は、静かな住宅街の中に建っていて当時の面影を残す物はほとんどなかった。とはいえ、石碑が建っていることで、この場所にかつて頼朝達が居たことを思うと感慨深いものがある。
法華堂跡|源頼朝公墓所
この場所のいちおしポイント
先ほどの小学校の先に、「源頼朝」の墓所がある。少し小高い丘の上に建てられている。
今は法華堂も無く、お墓がひっそりと建てられているのみ。
この写真は、法華堂へ向かう階段のふもとから撮影したもの。この先にこんもりとした丘がある。
法華堂跡を示す石碑。こちらも対象に建てられたもの。
階段を登ると、ちょっとした平地になり、そこが墓所と言うことになる。写真は法華堂跡の石柱。墓所ができた当時、法華堂が建立されていたそうだが、17世紀初頭までに堂舎が無くなってしまい、代わりに石造りの墓塔が建てられたのだそう。
現在見ることが出来る墓域は、江戸時代に入ってから薩摩藩主「島津重豪」によって整備されたとのこと。
訪問時の感想
源頼朝が初めて開いた大倉幕府の地を見下ろすような位置に、頼朝の墓が建てられている。歴史上の偉人にしては少々こじんまりとした印象を受ける。代々受け継ぐには、時が長すぎたのかもしれない。すぐ近くには、頼朝の開いた幕府を受け継ぎ武家政権の発展に尽力した北条義時の墓もあり、当時の関連性を推し量ることが出来た。
北条時房邸跡|当時およそ2000坪程の敷地面積があった豪邸跡
この場所のいちおしポイント
若宮大路を歩いていると「北条時房邸はこちら」との看板を見つけた。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていなければ絶対に気づくことは無かった。
「若宮大路」の商店街を歩いていると突然この看板が出てくる。入口もわかりにくいので看板が頼り。
訪問時には工事中だったようで、そこかしこに養生されていた。
奥は行き止まりとなっているが、案内板があるので行ってみた。
詳しい区割りが書いてあるのを発見。こんな区割りだったのだ。「和田義盛」に「北條泰時」の名前も!こんな位置関係に住んでいたんだなあ。
訪問時の感想
若宮大路から少し脇へそれたところに、北条時房の邸宅跡があり、思いがけないスポットの発見にテンションが上がった。
ここも大河ドラマを見ていなければ新たな発見は無かったし、感動も無かっただろう。