神社の紹介
- かつては「伊豆御宮」「伊豆大権現」「走湯大権現」と呼ばれていた
- 略して「伊豆山」、「走湯山」
- 創建時期は不明
- 社伝によると紀元前5~4世紀(孝昭天皇)頃の創建と言われる
- 創建当初は日金山の山頂に鎮座していたと伝わる
- 日金山は「十国峠」とも呼ばれ、古代から信仰の地とされた
- 日金山「東光寺」で祭祀が行われ、推古天皇の時代に「走湯権現」の神号を賜る
- 836年(承和3年)に、僧「賢安」が現在の地へ遷座
- 伊豆山と富士山信仰の繋がり
- 平安時代後期「末代上人」が伊豆山で修業
- 富士山登拝を重ね「富士上人」と呼ばれる
- 鳥羽上皇や貴族・民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納することに成功
- 伊豆山から富士山へ繋がる修行の道が形成された
- 鎌倉幕府、源頼朝との関係性
- 頼朝が伊豆国に流された際、源氏再興を祈願し「北条政子」と共に崇敬
- 鎌倉幕府を開府後、頼朝は多くの社領を寄進
- 「北条政子」との逢瀬の場でもあり、境内に「腰掛石」が残る
- 鎌倉幕府将軍家の二所詣(伊豆山神社・箱根神社)の一つとなる
- 「源実朝」が参詣の途中でに詠んだ和歌が『金槐和歌集』に収められる
- 現存する木造男神像の逸話
- 平安中期に造られた日本最大の神像
- 応神天皇の時代に相模国大磯の海に出現
- 仁徳天皇の時代に日金山に飛来し祀られたと伝わる
- 「走湯大権現」の由来
- お湯が湧き出す霊場「走り湯」のことで、これを神格化したもの
正式名称
関八州総鎮護 伊豆山神社
知っておきたい 関八州とは
関八州とは
日本の昔の行政区分である、武蔵州(東京と埼玉)・相模州(神奈川)・上野州(群馬)・下野州(栃木)・上総州(千葉中央部)・下総州(千葉北部)・安房州(千葉南部)・常陸州(茨木)を総称した呼び名
ご利益
強運守護・福徳和合(福徳は幸福や良い運命、和合は調和し協力することの意味)・縁結びの神様
御祭神
伊豆山神|火牟須比命 |別名カグツチ イザナギとイザナミとの間に生まれた。「火の神」
天之忍穂耳命|アマテラスの子であり邇邇芸命の父でもある。「稲穂の神霊」
栲幡千千姫命|天之忍穂耳命の妻。「織物・安産/子宝の神」
邇邇芸命 |アマテラスの孫。「農業の神」
御朱印
御朱印所
長~い階段を登った先にある。先ずは本殿に参拝して呼吸を整えてから御朱印を頂こう。
伊豆山神社 地図
来宮神社 駐車場情報
鳥居のすぐ脇にある専用駐車場。※もちろん無料
参拝日は2024年1月5(金)で平日ではあったが、午前3時の時点で既に駐車場も満車。
およそ6台程度しか停められないので、停められたらラッキー。
本殿横にも駐車場があるので、階段を登るのはちょっとタイヘン!って方にはちょうど良い。
みどころ
伊豆山神社 入口~参道
伊豆山神社という名のとおり、山の上に社殿があるのか、階段の上が全く見えない。
ここの神社までの道のりも、車でだいぶ山を登ってきた印象だ。
この場所自体わりと標高が高いが、神社はさらに登ったところにありそうだ。
来宮神社 参道~階段
まずは一礼してから鳥居をくぐる。その先に待ち構える階段の多さに少し驚く。
結構急。聞いてない。
ここからは約170段も石段があるってさ!聞いてない。
とは言えここまで来たら、行くしかない。
それでは伊豆山神社へ、いざ参拝。
末社|祖霊社
階段を登ると先ず見えてくるのが「祖霊社」という社。
祖霊社の説明
祖霊社(それいしゃ)
祖霊社とは、先祖の御霊(みたま)をまつる社です。
この社は、古来、関八州総鎮護と称えられた伊豆大権現(伊豆山神社)に仕えた氏人の祖霊をお祀りしています。
この祖霊社は、伊豆山の人々の守護神として景仰されており、例祭は、毎年春分の日・秋分の日の年二回斎行されています。
伊豆山神社 祖霊社前の案内看板より
中は閉ざされいたため、拝見することは出来ず。
是非とも年二回の例祭は見てみたいものである。
さて、祖霊社を後に本殿へと向かう。
にしても結構な階段だこと。
二つ目の鳥居が見えて来た。こちらはかなり大きな鳥居である。
鳥居には「伊豆山神社」と書かれた扁額があった。
こちらでも一礼。ペコリ。
鳥居をくぐり、さらに階段を登ると右手に「役の小角社」が見えてくる。
末社|役の小角社(足立権現社)
聞きなれない名前の社。役の小角社(えんのおづぬ)と読むそう。
どれどれ
役の小角社の説明
末 社 役の小角社(えんのおずぬしゃ)
御祭神 役の小角(神変大菩薩)
例祭日 七月一日
御由緒 役の優婆塞ともいう、舒明天皇六年(西暦六三四)大和の国葛城上郡に生まれ神仏両道に渉り行を積み深く学を究め孔省咒法を修習、奇異の験術を証す、また日本国中の名山高山を開き登り、修験道の祖とも、開山の祖とも仰がれる。
文武天皇の御宇、捕えられて伊豆大島に流されたが、昼は皇命を慎み、夜は飛行の術を駆使し当伊豆大権現に飛び来て修行を重ねたと伝える、大島に在ること三年、大宝元年勅命を以って許され大和に還ったが遂に仙人と化って唐に渡ったと云われる、役の小角隠れ給ひてより千百余年後、光格天皇の寛政十一年(一七九九)その神徳を讃えられて神変大菩薩の神号を賜う。
当社は運命開拓の神なり、また古くから足の病に悩める者足腰弱き者、祈願致さば神護を享けて強足になるという信仰があります。
伊豆山神社 役の小角社前の案内看板より
かみ砕くと…
「えんの優婆塞(うばそ)は舒明天皇六年に生まれ、神仏両道の修行者として日本国中の名山を開き、修験道の祖として尊ばれた。飛鳥時代の呪術者とも言われる。
しかし人々を言葉で惑わしていると讒言され(誹謗中傷され)捕われの身となり、伊豆大島に流されてしまう。流された伊豆大島で修行を積むことに。その後、大赦により大和に帰還を果たす。やがて、唐に渡り仙人となった。
彼を祀る当社は、運命開拓の神として信仰され、足の病や腰痛に悩む者が祈願すると、神護を受けて強くなるとされています。」ってなる。
どんな方なのかな?って気になる。
はい、こちらが優婆塞。
なんか怖い。
では、また本殿に向かい階段を登る。
頂上が見えてきた!あとちょっと。
ついたー!
結構参拝客がいるね。まぁまだ1月5日だし、そりゃそうか。
伊豆山神社 手水舎
手水舎はこんな感じ。
本殿と同じ造りで統一感があって、良い雰囲気。
ん?手水舎に紅白の龍??これは珍しい。
赤白二龍の由来の説明
伊豆山神社の縁起「走湯山縁起」(鎌倉期に成立) に拠れば、当 伊豆山の地底に赤白二龍和合し
て臥す。
其の尾を箱根の湖水(芦ノ湖)に漬け、その頭は日金嶺(伊豆山)地底に在り、温泉の沸く所は此の龍の両目二耳並びに鼻穴口中あり(走り湯)。
二龍精気を吐き、赤白海水に交わる、二色浦(熱海錦が浦の名の由来)は此を謂ふなり。
赤白二龍は御祭神 天忍穂耳尊の隋神であり、
赤は火を表し白は水を表す、火と水の力でお湯(温泉)を生み出す温泉の守護神であります。
伊豆山神社 手水舎の案内看板より
手水舎には赤白の二龍が祀られいる。赤い龍は火を、白い龍は水を象徴し、火と水の力で温泉を生み出すとされ、温泉の守護神とされている。
なるほど面白い!!
ちなみにこちらから出てくるお水は温泉では無かった。
では、いよいよ本殿へと向かう。
伊豆山神社縁起
本殿前には伊豆山神社略紀があった。
伊豆山神社略記の説明
伊豆山神社略記
[御祭神]
伊豆山神 火牟須比命 (ほむすびのみこと)
天之忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)
栲幡千千姫命 (たくはたちぢひめのみこと)
邇邇芸命 (ににぎのみこと)
[社 格]
別表神社「旧国弊小社」
[例祭日]
四月十五日
[鎮座地]
本殿は、相模灘を一望に望む、海抜百七十メートルほどの地点にあります。
境内は歌枕に名高い伊豆の御山、子恋の森の一部で、約四万坪の広さがあります。
この場所は、かつて上宮と呼ばれていました。
参道の階段を下って海抜五十メートル弱の地点には下宮の跡地があり、さらに伊豆浜に下ると走り湯があり、また、海抜三百八十メートルほどの頂きに、本宮があります。
伊豆の御山は、日金山や岩戸山に連なり、 伊豆・相模駿河の三国にまたがる広大な神域の要です。
[御由来]
○ 関八州総鎮護伊豆山神社は、かつて伊豆御宮、伊豆大権現走湯大権現と称され、略して伊豆山、走湯山と呼び親しまれてきた、強運守護、福徳和合、縁結びの神様です。
○ 祭祀の創まりは遥か上古に遡り、現存する木造男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御代に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝える伊豆大神の御神影をあらわしています。
○ その神威の源は、湧き出づる霊場「走り湯」です。走湯権現とはこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。
○ 神威を被るところは、沖合に浮かぶ初島をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所と呼ばれた箱根や、富士山に及びます。
後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」のひとつとうたわれたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となりました熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。
○ 平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登拝を重ね、富士上人と呼ばれた末代上人は、鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。
伊豆山から富士山につながる修行の道は、そののち平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して、征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台になります。
鎌倉将軍の参詣する二所詣の聖地となった当社は、威光を輝かし、格別の尊崇を集め、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。
武家が誓いを立てる時の起請文には、 誓詞証明の社として当社の名が必ず連ねられています。
○ そうした神徳を讃え、鎌倉三代将軍源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金槐和歌集』に収められています。
平安時代の女流歌人として名高い相模や鎌倉時代の阿仏尼も参詣して百首和歌を奉納しました。
その伝統は、仲秋の名月に熱海市が主催する伊豆山歌会に受け継がれています。
○ 明治維新の神仏分離令により伊豆山神社と改称されてからも伊豆大神の神威は絶ゆることなく、大正三年一月十八日には当時皇太子であられた昭和天皇、昭和五十五年九月十二日には当時皇太孫であられた今上陛下が御参拝になられました。
○ 宝物
後奈良天皇辰筆 『般若心経』 一巻、古剣一振、男神立像(以上国指定重要文化財)、 伊豆山経塚遺物ほか、多数の宝物を所蔵しております。
伊豆山神社 本殿前の案内看板より
それではいよいよ目の前の本殿へ。
伊豆山神社 本殿
雰囲気のある素敵な神社である。
朱塗りの綺麗な本殿と、この森の緑が合いますな。
伊豆山神社と書かれた扁額。心なしか神々しい。
拝殿の中はこんな感じ。ガラスで反射しまくりでほとんど中は写らず。
こちらで、旅の無事(帰路)を祈願した。
境内散策
時間の余裕もあるため、境内の中をひとしきり散策してみることに。
昭和天皇お手植えの松
昭和天皇お手植えの松の説明
昭和天皇お手植えの松
大正三年一月、当時皇太子であられた昭和天皇が御参拝の折、お手植えになられた松は見事な
大木に成長しましたが松くい虫の被害により残念ながら伐採されました。
しかし、後にその松の種子が奇跡的に芽を吹き今に至ります。
伊豆山神社 昭和天皇お手植えの松の案内看板より
当時の担当の方は相当焦っただろう。新しく芽吹いて本当に良かった。
摂社雷電社(若宮)
手水舎の近くにあるのが「摂社 雷電社」である。
摂社 雷電社の説明
摂社 雷電社(若宮)
御祭神
伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)
例祭日
三月十五日
御由諸
創立年代は不詳ですが、吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興しそののち、暦応四年に足利氏が、慶長十七年に徳川二代将軍秀忠が改築、現社殿は昭和年に内務省によって改築。
政治を司り導く神として、源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が篤く、室町時代には全国に多数の社領を有しておりました。
御神徳
事業、経営、商売繫昌・必願成就・良縁成就・家内安全・夫婦円満・子孫繁栄など
その御神威、弥高くまします。
伊豆山神社 雷電社前の案内看板より
光のパワー|光り石
光り石の説明
走湯山縁起と吾妻鏡の大磯高麗山 (高来神社) より道祖神 (猿田彦大神/天宇受売命) とともに来た神様の降り立つ光り石です。
神様の愛を受けて良き事がありますように光のパワーを沢山ゝ賜わって光り石にさわったり座ったりして楽しくお参りして下さい。
伊豆山神社 光り石前の案内看板より
おしまい
アクセス
住所
所在地 | 静岡県熱海市伊豆山1083 |
最寄駅 | 「JR熱海駅」下車 伊豆山神社前バス停まで約7分 |
駐車場情報 | 有料の専用駐車場あり |
公式サイト | https://izusanjinjya.jp/ |
GoogleMap
鎌倉幕府「二所詣」
鎌倉幕府将軍家の「二所詣」となったのが、箱根神社と伊豆山神社だ。
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