北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市)
この場所のいちおしポイント
富士山のふもとにある、北口本宮富士浅間神社。
この神社は、富士山最初の登山道「富士北口(現:吉田口登山道)」の起点となる場所である。
そのため、富士山信仰と深い関わりがあり、「日本武尊」が東方遠征の折「大塚山」(現:北口本宮)に立ち寄り、「富士はここから拝むべし」と言葉を残したとされる由緒ある神社。
御祭神
木花咲耶姫命
御朱印
北口本宮冨士浅間 境内
神秘的な雰囲気が漂う参道が、とても気に入っている。
冨士山大鳥居の高さはおよそ17mもあり、木像では日本最大級の大きさとのこと。
この本殿の奥に富士山を望むことができる。まさに富士山信仰の本拠地だ。
富士山の五合目周辺は「天狗の庭」と呼ばれ、天狗が支配していたという言い伝えがあることから、この大きな額が奉納されているのだろう。
また、本神社の御神祭でもある「木花開耶姫命」の父親が「大山祗神」と言われている。大山祇神は全ての山の神とされているので、富士山との関わりがとても深いことが想像できる。
訪問時の感想
毎年、夏になると富士山周辺を訪れるが、その際に必ずと言っていいほど参拝しているのがこの北口本宮浅間神社である。境内の静かで清い空気に惹かれるものがあり、何故か足が向いてしまう。
真夏でも境内に流れる小川の水は冷たく、火照った体を冷やしてくれる。
山中浅間神社|山中諏訪神社(山中湖村)
この場所のいちおしポイント
山中湖から河口湖方面に向かう途中、道路に架かる朱色の橋が目に留まる。これが山中浅間神社と山中諏訪神社の目印となる。目立たない場所に建つので、つい見落としがちな神社だが、とても素敵な神社だった。旅の安全を祈願し立ち寄って頂きたい場所である。
山中浅間神社と山中諏訪神社の関係
「山中浅間神社」と「山中諏訪神社」が、道路を挟んで並んでいる。
浅間神社の御朱印は山中諏訪神社で頂ける。
御祭神
山中浅間神社|木花開耶姫命・天津彦々火瓊々杵尊・大山子祇命
山中諏訪神社|豊玉姫命
御朱印
御朱印所
こちらの社務所で山中浅間神社と山中諏訪神社の御朱印を頂ける。
山中浅間神社 本殿
昭和47年に再建された本殿。1792年(江戸時代)に建立された本殿は1919年に焼失したとのことで、本殿は鉄筋コンクリート製で再建された。
中はこんな感じ。手前が拝殿、奥が本殿。
この橋を渡ると「山中諏訪神社」に行ける。
山中諏訪神社 本殿
1684年(江戸時代)に修築され、今に至る。
拝殿の中はこのようになっている。
結婚式や七五三などのお宮参りをすることも多いのだろう。とても綺麗だ。
訪問時の感想
観光地にあるような神社ではないが、雰囲気が良く参拝客もあまり多くないのでゆったりと散策ができる、とても素敵な場所だった。
甲斐国分寺(笛吹市)
この場所のいちおしポイント
奈良時代「聖武天皇」の詔によって建立された「甲斐国分寺」。ところが平安時代中期頃、律令国家の衰退に合わせるように寺の荒廃が進んでしまう。廃寺寸前まで追い込まれる事態となったことを憂慮し、「武田信玄」が再興させたと伝わる。
正式名称
護国山 国分寺
御本尊
薬師如来
御朱印
甲斐国分寺 境内
入り口にある立派な鐘楼門。この鐘楼門は江戸時代末期に再建されたとある。
屋根が大きく外に張り出した作りで、間近で見るとその大きさに圧倒された。
本堂の薬師堂
訪問時の感想
住職が気さくな方で、御朱印を頂く際に少しお話をさせていただいた。本堂を見せてくださり、鐘楼門に上ることも勧めていただいたが、急な階段を登ることになるので残念ながら遠慮した。
甲斐善光寺(甲府市)
この場所のいちおしポイント
「善光寺」と言うと、長野県信濃にある善光寺を真っ先に思い浮かべるが、実は甲斐にも善光寺が存在する。もちろん両寺院には深い関係がある。川中島の合戦で「信濃善光寺」の焼失を恐れた武田信玄が、1558年(永禄元年)ご本尊などの寺宝を奉遷し、その当時の信濃善光寺の僧侶も一緒に甲斐善光寺に迎えたことが、ここ甲斐善光寺の始まりとなった。
正式名称
定額山 浄智院 善光寺 通称|甲斐善光寺
御本尊
善光寺如来像
御朱印
甲斐国分寺 境内
この大きな山門は、幅17メートル、高さおよそ15メートルもある、大変立派な山門である。
この金堂は高さ27メートル、奥行き49メートルで、善光寺建築特有の撞木造と呼ばれている。
現在の金堂は、1796年に再建されたものである。以前の七堂伽藍は失火によって失われたが、その当時の建物はとても立派なものだったそう。
大きく枝を伸ばした松の木に風情を感じる。
甲斐善光寺 金堂内
本堂に入って、左奥へ進むと、お戒壇廻りを体験できる場所がある。
本堂の真下へと続く階段を降りると、そこは明かり一つない真っ暗な空間が広がる。一切の光が遮断されるため、手元さえも見ることが出来ない。内部は「心」の字を表した造りとなっており、左側の壁を伝って進むと、「幸運の鍵」に触れることが出来る。この鍵に触れることで、ご本尊とご縁を結べるのだとか。
暗い場所が本当に苦手な場合は避けた方が良いが、そうでない場合はぜひ一度体験してみていただきたい。
訪問時の感想
武田信玄が創建した、甲斐善光寺。その後、戦国時代の激動の中でも、多くの武将たちによって本尊が守られ、現在までその姿を残すところとなった。戒壇巡りで、ご本尊に近づくことが出来る貴重なお寺だ。
甲斐武田神社(甲府市)
この場所のいちおしポイント
甲斐武田神社は、かつて武田氏の館があった場所に創建された神社だ。ちなみに、創建は意外にも新しく大正時代に入ってからのものなのだそう。
御祭神
武田信玄公
御朱印
武田神社の境内
この武田神社は、武田氏の館跡に建てられており、階段の左右には立派な石垣が積まれている。当時の武田氏が大きな権力を持っていたことが容易に想像できる。
手水舎の手水鉢も武田菱の形になっている。
大正時代に創建された、立派な拝殿。屋根は檜皮葺で、威厳を感じる。この奥には本殿が鎮座している。
拝殿の向こう側に本殿が少し見える!
神社に参拝した際は拝殿だけでなく、本殿が見られる場合はしっかりと見ておきたい。
訪問時の感想
この武田神社を散策してみると、当時、武田信玄の館が広大な土地に広がっていたことが良く分かった。
当時のものは1600年に破壊されてしまったが、現存している石垣などから往時の繁栄を推測することができる。
久遠寺(身延町)
この場所のいちおしポイント
日蓮宗の総本山として厚い信仰を集め、日蓮聖人の聖地として参詣が絶えない。パワースポットと言われている場所だそうで、なるほど、確かに敷地全体の空気が外とは少し違っていた。
正式名称
身延山 妙法華院 久遠寺
御本尊
三宝尊(仏:釈迦如来、法:法華経、僧:日蓮)
御朱印
久遠寺の境内
総門手前では「身延山総門」と書かれたとても大きな石柱が出迎える。青空と木々の緑とのコントラストが美しい。山門付近はとても静かで、ピリッとした神聖な空気が流れているようだった。自然と背筋が伸びる。
こちらは山門、ではなく「三門」。三門とは「三解脱門(空・無相・無願)」の意味があるとのこと。この三門には、79世日慈上人の筆による「身延山」の扁額がかかる。
この階段は「菩提梯」と言い、三門から本堂へと続く287段の石段は「久遠寺」のシンボルとなっている。この287段の石段は「登りきれば涅槃に達す」と言われているとのことなので、気合を入れて上ることにする。また、階段は7つに分けられており、これは「南無妙法蓮華経」の7字になぞらえているから、とのこと。階段の頂上がが霞んで見える・・!
大本堂前に立つ角塔婆。モミの木を切り出して作るのだそう。
奥之院は身延山の山頂(標高1153メートル)にあるため、ロープウェイを利用して向かう。標高も高く山の上からの眺めは最高。
標高が高いので、真夏でもひんやりと涼しい。
延山の山頂に奥之院が建立され、「思親閣」(ししんかく)と言われている。日蓮聖人が、故郷「房州の安房(千葉県鴨川市)」に住む両親に想いを馳せた場所と伝えられている。当方も千葉在住のため、感慨もひとしお。
故郷のご両親と、師の道善房を懐かしんでいるお姿。
訪問時の感想
山梨県内の観光と言えば、「河口湖」や「甲府」「勝沼」などが有名だが、是非とも少し足を伸ばして、ここ久遠寺を参拝したい。
お寺の規模はかなり大きく、またロープウェイに乗って訪ねる別院があったりと、かなり楽しめる場所だ。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
山梨県には、「武田信玄ゆかりの地」「富士山信仰」「日蓮:久遠寺」など、歴史に関する史跡が所々にあるので、まだ行ったこと無い場所があれば是非とも訪問してみてはいかがでしょうか?