不忍池辯天堂の御朱印|「財」を増やすご利益あり?!(東京都上野)
不忍池辯天堂の御朱印 江戸初期の「寛永年間」に「慈眼大師天海大僧正」によって建立された
不忍池や寛永寺を含む「上野の山」は「見立て」という思想によって設計された
「見立て」は京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味する
見立て1:「寛永寺」は寛永年間創建=「延暦寺」は延暦年間創建
見立て2:「不忍池」=「琵琶湖」
見立て3:元々聖天が祀られていた小さな島=竹生島
見立て4:新たにお堂建立=竹生島の「宝厳寺ほうごんじ」
見立て5:参拝は琵琶湖から竹生島へのルートと同様に、船を使用
江戸後期には庶民の間で七福神詣でが流行したこともあり橋が架けられる
弁才天の「才」の文字「財」と読み替えて、金運を授けてくれる神として信仰されるように