石田寺(土方歳三墓所)の御朱印|鬼の副長の故郷に馳せ参じた(東京都 日野市)

土方歳三
土方歳三寺院新選組!東京都
「新選組副局長土方歳三」が生まれた石田(いしだ)村にある「石田寺(せきでんじ)」に訪問。
歳三のルーツを探る旅となった。
石田寺には土方歳三の墓と顕彰碑が置かれており、後年になって土方歳三の兄の子孫が建てた「土方歳三義豊之碑」などもあり、土方歳三の聖地となっている。


参拝日:2017年5月5日

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お寺の紹介

石田寺山門

石田寺は、高畑不動尊の末寺にあたるとのこと。
南北朝時代に建立された石田寺だが、しばらくすると廃寺となってしまった。ところがそれから数百年後となる安土桃山時代のある時、洪水により一体の観音像が石田村へ流されてきた。これを拾った村人が、廃寺となっていた石田寺に観音堂を建て、安置したことが再興のきっかけとなった。不思議な縁を感じる、とても面白い逸話である。
この石田寺のすぐ近くに、土方歳三の生家も位置している。

正式名称

 愛宕山 地蔵院 石田寺(せきでんじ)

御本尊

 地蔵菩薩 

御朱印

 なし 理由:歳三のお墓参りがメインであり、完全に御朱印について失念していた。

御朱印所について

 不明(おそらく本堂)

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みどころ

土方歳三の碑

土方歳三義豊之碑

石田寺の境内には、立派な石碑が立っている。これは、土方歳三の兄「喜六」の曾孫にあたる土方康氏が、昭和43年に「明治100年」を記念して建立したもの、とのこと。

土方歳三の墓

歳三の洋装姿が勇ましい
裏から

墓石の側面には「土方歳三義豊」「箱館一本松関門に於て戦死」「享年三十五才」と書かれている。

なお、このお墓はいわゆる「引き墓(供養用に作られたお墓)」であり、ここに埋葬されているわけではないとのこと。

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アクセス

所在地東京都日野市石田1-1-10
最寄駅京王線「高幡不動駅」下車→乗換え→多摩モノレール「万願寺駅」下車 徒歩8分
駐車場情報不明
公式サイトhttp://sekidenji.jp/

GoogleMap

さて、次はこの近所にある土方歳三の生家へと向かう。

土方歳三資料館へ

 2023年現在、展示資料整理のため長期休館中。

以下、公式サイトより引用。

【大切なお知らせ】
【長期休館に関して】

1994年5月11日の開館以来、28年半にわたり、たくさんの方にご来館いただきましてありがとうございます。
個人運営のささやかな資料館ながら、新選組や土方歳三のことを多くの方に知っていただけるきっかけとなっていたらとても嬉しいです。
土方家では「新選組や土方歳三の歴史を後世まで残したい」といつも考えてまいりました。
ここでお休みをいただき、長期間展示していた史料を休ませたり、必要なものは修復したり、一度大掛かりな資料整理をしたりする期間をいただこうと思います。

お休みを惜しんでくださるお声も多くございますが、遺品や歴史を100年先まで伝えるべく準備をする前向きな休館期間ですので、ご安心ください。

ありがとうございました!
また、誠のご縁で皆様と繋がれますように^^
  
 2022年11月吉日
 土方歳三資料館 
  館長 土方愛

土方歳三資料館

土方歳三の生家の門

土方歳三資料館の入り口
資料館には歳の愛刀「和泉守兼定」が飾られていた。

土方歳三資料館の入り口には看板が立てられている。建物自体は一般の住宅と変わらない。あくまで館長のご厚意で資料を開放してくださっている、という印象。

右側の黒い屋根の建物が資料館として開放されている

資料館を訪ねた当時も、本当に多くの人でにぎわっていた。2回ほど訪ねたが、どちらもたくさんのお客さんで混み合っていた。新選組「土方歳三」の人気ぶりがよくわかる。

土方歳三の胸像

庭に「歳三」洋装姿の胸像を発見。凛々しい顔つき。洋装も良いが、だんだら羽織も好きだ。

あの「石田散薬」の「幟(のぼり)」が!!

目を閉じると、2004年放送の大河ドラマ「新選組!」での歳三の流暢な口上が聞こえてくる。
「さてここに取り出したるは石田散薬!
 酒と一緒に一たび飲めば、これなる名刀もただのなまくら。さぁさぁお立合い!
 近くに寄ってごらんぜよ。
 これ、このとおり!えい! (腕を刀で切っても血が出ないことを演出)
 さぁ石田散薬の効能が分かったら遠慮はご無用だ。
 これを一日一包み、酒と一緒に「ぐいっ」と飲めば 
 骨接ぎ 打ち身 くじきに 切り傷 腰の痛みに 歯の痛み
 どんな痛みも、たちどころに治る!」

懐かしい。

ご当地グルメ

西海ラーメン

西海とは長崎県にある市の名前のこと。ということで、味は豚骨ベース。
特長はスープに使っている「あご(トビウオ)ダシ」と、ラーメンの中央に添えられている「紅ショウガ」。八王子界隈では、とても有名なラーメン店で店舗も数店ある。
豚骨風味の中に、あごダシが利いていて魚介とんこつのようなうまみがガツンと来る。麺は細麺でこってりなスープがよく絡む。サラリと食べられるおいしいラーメン。

これにて、鬼の副長土方歳三ふるさと紀行は終了。

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